芸術の書道はもうやらないと、決めた時

ちょっと前の話ですが、
「芸術の書道はもうやらない。」・・・そう決めた時、私は何をしたと思いますか?(笑)

私としては「結構、思い切ったな~」と思うことです。(^^♪

いつも過去を振り返ったときには書くことですが、
書いても書いても自分の作品は駄作にしか見えませんでした。
「ああ、ここをもっとこうすればよかった。ここは、こうでなきゃダメなのに。」
と、例え展覧会で入賞した作品でも、部屋に飾ってみると自分ではがっかりでした。(^^♪

芸術作品を飾って、生活に潤いを・・・
なんて言うのは、自分の作品ではかなわぬ話でした。(苦笑)

そんな折、家庭の事情からしばらく書道から離れている間のことでした。
なにかの拍子に、ふと思い出したのです。

そういえば、もともと私は、芸術をしたくて始めたのではなかったな。
普段の生活の中でキレイな筆文字を書きたいと思って始めたのだった。
・・・いつの間にか、全然違う方向へ進んでいたな~。

っていうことをです。
書道に夢中になっていた時には、考えたことさえありませんでした。
ちょっと間を置いたから気づいたんでしょうけれど・・・。
一旦そこに気づいてしまうと、芸術をもう一度やろうという意欲が、全く湧かなくなっちゃいました。(苦笑)

一から勉強をやり直そうと思いました。

ええ、芸術の書道ではなく、実用的なほうの書道の勉強です。

なぜかって言うと、教室を持っていると、人様からは色んなことを頼まれるものです。
「ちょっとこれを書いてください。」

具体的には、カンタンなものなら、祝儀袋の表書き、賞状の名前書き、など。
難易度の高いものでは、式典の式辞の奉書、賞状の全文書き、などなどです。

以前は、見よう見真似で書いたこともありますが、やはりそれらには決まり事があります。
知らずにそこからはみ出してしまっては恥ずかしい。
教室を持っているからプロだと人からは思われているのに、うまく書けないのも情けない。

そんな気持ちから、一通りの勉強をやり直しました。
筆耕の勉強と、ペン習字です。

私がやりたかったのは、こっちだったのよね?\(^o^)/

と、改めて勉強し直してみて、とても嬉しくなりました。
だって、ようやくたどり着けたんです。
ずいぶん遠回りしましたけれど、私がほしかったものは、そこにありました。(#^^#)

どうすればキレイな字が書けるのか?
そもそも、キレイな字とはどんな字なのか?
そこがよく分からなかったから、キレイに書けなかったんだということ。
その理由、リクツが分かって、やっと自信がつきました。

もう、芸術の道に、用はなくなった!
・・・そう思いました。

だから、私がやったのは、芸術書道をバッサリ切り捨てることでした。
つまり、それまでに芸術の道を志していた時に購入していた、大量の紙を処分しました。
その多くは、2尺×6尺や、2尺×8尺の大きな紙です。
練習用の安い紙もありましたが、展覧会に出せるような、色々な模様が入った高価なものも多くありました。
おそらく、当たり前に書道用品店で購入すれば、相当な金額になると思います。

自分が錬成会などに参加した時に、業者から買ったものも数万円分ありました。
師匠が晩年に、もう作品は書かないからといって、安く分けてくださったものも大量にありました。
おそらく、彼が購入した時の金額なら、十万円以上はしただろうと思われます。
・・・今となっては分かりませんが、もしかしたら数十万円したのかもしれません。

古くなっていたので、状態は悪くなっていました。
でも、さすがに焼却処分するのはもったいなくて、昔からの知人に譲りました。
今も活躍していらっしゃる書道家の先生です。

「アンタ、ホントにこれ全部もらってええんかね?ホンマにもう書道に未練はないの??」
何度も何度も念を押して、喜んで持って帰って行かれました。(^^♪

私みたいに、芸術から心が離れてしまったものがムダに持っているより、活躍しておられる方が練習用にでも使ってくださる方が、紙だって喜ぶというもの。
私、自分ではもう書きませんけれど、その先生の作品を見るのは好きなのです。

はい、今でもやっぱり、書作品を見るのは好きですね。
美しい看板文字などを見かけると、つい立ち止まってしまいます。
お店に入って、どなたがお書きになったのか、聞いてしまったこともあるくらいです。(^^♪

私の2人の師匠はもう亡くなりましたが、もしまだ芸術をやるならば、次はきっと、その先生から学んだだろうと思う方です。
その方にもらっていただけて、良かった・・・。

私の心はとても、スッキリしました。(#^^#)

ええ。
もう、芸術はやらないと、決めたのです。
私にとっては、過去のものなのです。

やっぱり私にとって大事なのは、実用書道ですから。(*^^)v