【突然ですが】教室の名前を変えます!

武内和恵もうすぐ53歳。
今、自分の教室が何なのか、分からなくなりました。

私がやっているのは、なんなのだろう??
「習字教室」だと、自分では思っていました。だから今まで「武内和恵習字教室」と名乗ってきました。

ですが今、
習字とは?書道とは?
私がお教えしているのはなんなのだろう??

そんな初歩的なところが、自分で分からなくなってしまったという、体たらくです。(苦笑)
振り返って考えてみました。

私が書道を始めたのは、きれいな字を書けるようになりたかったことが、きっかけでした。

家からはだいぶ遠かったのですが、おばあさんが教えてくれる書道教室でした。
線路のそばの古いお家。
道路から沈み込んだところに玄関がありました。
家に上がるのとは反対方向に梯子のような階段があり、屋根裏部屋が教室でした。
上にそのまま瓦が載っているらしい、斜めでささくれだった雑な板の天井。
むき出しの配線に、裸電球。
歩くときしむ、床板。
小さな汚れた窓から、線路の汽車が見えました。
汽車が通るたびに、お部屋が揺れるような気がしました。
夏には扇風機を回してくれました。
エアコンなんて、もちろんありません。

汚れ放題の屋根裏で、気兼ねなく書けることがうれしかったです。
そのお部屋は、書道教室にしか使われていない部屋でした。
壁にも柱にも机にも、墨がいっぱいついていました。
当時は土曜日には学校は半ドンで、家に帰ってお昼ご飯を食べ、書道教室へ行きました。

その教室では、誰よりも早く行き、誰よりも長く練習していたのが私でした。
どうやったら先生のように上手に書けるのか?
不思議で不思議で、ひたすら書きました。

中学生になってから、友達はもう誰もその教室には行きませんでした。
先生の具合が悪くて、入退院を繰り返しておられたからという事情もありました。
けれど、部活のヒマな冬になると、私は一人でそこへ通いました。
・もう段や級をほしいとは思わない。
・ただ、日常生活の中で筆の使える人になりたい。
・年賀状や、祝儀袋を筆で美しく書けるようになりたい。
それが、私の望みでした。

だから、こう言ったのです。
「小さい字を教えてください」
そしたら、先生はこうおっしゃいました。
「和恵ちゃんは、仮名を習いたいのね?」

そうか、私が習いたいものは、「仮名」なのか。

・・・そう思ったのです。
先生は、仮名を教えてくださいました。

高校に入るとたまたま、仮名が専門の先生に恵まれました。
高校を卒業してからは、漢字の先生にご縁をいただきました。

そうして、何も迷わず、師匠たちに導かれるままに、芸術の書道へ進んでいきました。

それはそれで、楽しかった芸術書道です。

平安時代の流れるような仮名文字。
1000年以上も前の、何と書いてあるのか全く分からない文章。
でも、勉強すれば、それらが自分で読めるということに感動しました。

一方、自分の全精神を叩き込むようにぶつけて書く漢字。
「書いた紙を破ったら、そこから血が噴き出るような字を書け」
と、力の限りに書きつくす楽しさを教えてくれたのは漢字の師匠でした。

二つの部門の書道を、一所懸命にやっていた独身時代でした。

漢字の天心書院で書道教師資格を取得し、未熟なままで21歳から小学生に教え始めました。
そして、時間がかかったのは、書人会の師範資格。

大学には行かなかった私ですから、卒論なんてものには縁がありませんでした。
でも、書道の論文は何回書いたか分かりません。(^^♪
師範に近づくと、試験は作品だけではなく、論文の提出が求められます。
「落ちても落ちても、何年も出し続けよったら、そのうちいつか受かる。
師範試験だけは、腹をくくって何年も出せ。」
と、言われていた割には運が良くて、2年くらいで受かりました。(笑)
ずいぶん、拍子抜けしましたね。(^^♪

仮名のほうは、どのくらいまで進んだのか、覚えていません。
半切の横作品を書いていましたから、5段辺りだったのかもしれません。
夏には錬成会という名の、地獄のような合宿に参加し、鍛えられました。

展覧会前には一晩中書いても疲れなかったあの頃。
それはそれで、充実した日々でした。

転機は、出産です。

結婚してからも、子供が生まれるまでは書いていました。
でも、同居していた義父は具合が悪く、介護が必要でした。
子供は、2歳ずつ離れて4人授かりました。
育児と介護の同時進行で、さすがに書道をやる暇は、1分たりとも作れなくなりました。

筆を持つことから離れて8年。
義父が亡くなり、長男が3年生になった年に、子供から頼まれて、教えるようになりました。
そのあたりのことは、こちらをご覧ください

そこで再び始まったのが、私の習字教室です。

小学生習字教室のチラシを配ったりしていると、必ず聞かれるのが
「大人はダメなの?私、字がヘタだから上手になりたいんだけど。」

だから始まったのが、大人の実用習字教室でした。
最近は、夜にも始めました。
そのめざすところは、こんな感じです。
日程は、今のところ、月に3回、金曜日です。

さて、
そんな大人の実用習字。
私は、「習字」だと思い、そう名乗ってきました。
だって、芸術を目指すのではなく、キレイな文字の習得が目的だから。

だけど・・・。

どうやら、「習字」という言葉には、何か違うニュアンスを感じる人もいらっしゃるみたいだと、気づきました。
武内には「書道」を教える資格や、力量がないから「習字」しか教えられないのだ。
・・・そう、感じる方もあるようだということです。

そんなことはないんですよ。(#^^#)

師範の資格も持っています。
やろうと思えば、展覧会に出すこともできます。

ただ、私はそこに魅力を感じなくなっちゃっただけなのです。
自分の作品は駄作にしか見えないんです。
飾って楽しむことができないんです。

そもそも、芸術の書道には、お金がかかり過ぎます。
独身の頃の、何にも気にせず自分のことだけにお金を使えていた頃なら、それでよかったのです。

でも、主婦になった今、あの莫大なお金のかかることをまた始めるかと思うと、・・・。

私が本来習いたかったのは、そんなことじゃない。
・キレイな字が書きたかった。
・年賀状を書きたかった。
・美しい文字を書いて、喜ばれたかった。

それだけのことだったんだと、最初の願いを思い出した時に、お金のかかる芸術の書道をやる気がしなくなりました。
人にそれを勧める気さえもしなくなったんです。

だから、芸術はもうやらない。

かつての私のように、今よりもっとキレイな字を書けるようになりたいという願いを持っている人はたくさんいらっしゃる。
なのに教室へ通い始めたら、あの頃の私のように、普通の書道教室では自分が願っていたのとは違う方向へ導かれてしまう。

そうじゃなくて、ただキレイな文字を書くことだけを目的とした教室をやりたい。
それを願っている人はたくさんいらっしゃる。・・・そう思うのです。

芸術をやれば、もちろん、字は上手になります。
でも、感覚から入るので、上達するまでに時間がかかり過ぎるのです。

キレイな文字を書くためには、なにをどうやって、どうすればキレイに書けるのか。
そもそも、キレイな文字とは、どんな字なのか?
そんなことを、理論的に教えてくれる書道教室なんて、私の知っている限りでは、どこにもありません。

その上、教室を持っていたら、色んなことを頼まれます。
「ちょっとあれを書いてくれ。」「これもお願い。」
・・・だから、恥ずかしくないようにと、筆耕の勉強もしました。
ペン習字の勉強もしました。
漢字の成り立ちを知りたくて、「辞書を読む」という、普通の人がしない勉強もたくさんしてきました。

つまり私は、普通の書道教師とは、全く別の観点から勉強してきた知識をたくさん持っています。
それをお教えすることで、喜んでくださる方が現実にたくさんいらっしゃるのです。
だって、ふつうの書道教室でそんなことを教えてくれる先生はいないんですもの。

誤解のモトはというと

今まで私が発信してきた情報には、そういうことが欠けていたから、誤った印象を与えてしまったのかなぁ・・・。
と、そんなことを感じた出来事が最近ありました。(笑)

その上、一般的には「習字」よりは「書道」のほうが高級感があるコトバだ。
・・・と、皆さん感じていらっしゃるみたいですし。

だから、習字教室という呼称は、変えよう!!
と、決めたのです。

では、なんと呼ぶのか?
・・・続きはまた今度。(笑)