2015.08.19

日本人が西へ東へと大移動する、お盆は過ぎてしまった。
どうして、そこまで同時に動くかな~と、空から見たら、さぞかし滑稽だろう。
そもそもお盆は供養のためにある!って自覚してる人、どの位いるのかな??

ま、心配せずとも、そのうちお彼岸が来るから、ここで仏事の話題をひとつ。

先日の夜、いつものように仏様にお参りしようとしていた。
その日は我が子の命日(流産した子が1人いる)だったので、三女に声をかけた。
「今日はHちゃんの命日じゃった。新しい牛乳開けて、コップについで来て。」
だの、
「ああ、棚に赤ちゃんのお菓子があった。持ってきて。」
だの、言ったとき。

娘:「んなもん、欲しがるわけないじゃん。何歳になった思うとるん?」
私:「あんたの一つ上。」
娘:「じゃろ?んなもん、ほしくないよ。」

・・・。
まあ、せっかくあるんだからあげようよと、お供えした。

お経の途中で電話がかかって中断した。
「今、ここじゃったんよ。」
と、お経本を指さしながら次女に渡し、続きを任せた。

電話がすんで仏前にもどると、にぎやかにJ-popの音楽がかかっている。
「今、お気に入りの曲はこれなんよ!って、聞かせてあげてた♪」

・・・。

子供たちにとっては兄弟なわけで、彼女たちはその兄弟を、今生きてる兄弟と同じように「兄弟だ」と、認識しているみたいだ。
だから、命日は彼女たちから見れば記念日、つまりお誕生日みたいなもの? 心の中では自分たちと一緒に成長しているらしい。
「牛乳やら、赤ちゃんのお菓子やら出されても、そんなもん嬉しくないよ。」と、思ってる。
その上、「せっかくだから楽しもうよ。」とばかりに、自分のお気に入りの音楽まで聞かせている。

・・・子供たちから、また学んだ。

この心って、大事だよね?

1.目に見えなくても、兄弟は、自分たちと一緒に育ってる。・・という子供たちの感覚。
2.「供養はこうやるんですよ」と、教えられたようにやるだけじゃなくて、家族なんだから家族が喜ぶようにやったらいいじゃん。・・という気持ち。

目に見えても、見えなくても、家族を家族として感じられる子供たちの感覚が、嬉しかった。
ご先祖様も、遠い存在じゃなくて、私たちの家族。親であり、おじいちゃん・おばあちゃんであり、私たちを慈しみ、大事に思ってくれている存在。
家族に話しかけるように語りかけ、一緒に楽しんでもらう団らんの場が、供養なのかな~。

と、子供たちの言動に教えられた。

何だか、私の中での固定観念が崩れ去った出来事だった。