幸せの基準は、低ければ低いほど幸せである!

あなたはどんな時に幸せを感じますか?

その幸せの基準って、なんでしょう?

けさ、
娘が会社からもらってきたお土産を見て、
しみじみ思いました。

白い恋人。

はい、そうです。

誰でも知っていますよね?

ラングドシャというんですかね?
薄焼きの軽いクッキー、
しかも色が白っぽい。

・・・に、
ホワイトチョコベースの白いクリームが挟まっている、
北海道のお土産の代名詞みたいなお菓子です。

38年前の思い出

あれを初めて見たのは、
19の秋でした。

もらったシチュエーションが
その後の私にとっては大事な場所だったから、
今でも鮮明に思い出せる?のかもしれませんが。(笑)

その後の私の生き方の道しるべにもなった、
その人からもらったのが、
白い恋人でした。

世の中にはこんなおいしいものがあるのか!

と、感激しました。

今でも変わらないパッケージ。

もしかしたら多少の変更はあるのかもしれませんが、
紺色に雪の結晶模様が描いてある、
あのお菓子ですよ。

私はあの時、
しみじみとそのお菓子を味わって食べました。

涙が出そうになるくらい
おいしく感じました。

いや、実際に涙が出ました。(笑)

初めて親元を離れて
寮生活をしていた時期だったからでしょうか、
ほんの一かけらもらったぬくもりが
嬉しかったのでしょう。

おいしいものは本当にありがたいのか?

今、世の中にはいろんなおいしいものがあふれています。

わが子たちの生活を見ていると、
私の育った時とは違って
とんでもなくおいしいものがたくさんあります。

ケーキなんて、
私が子供のころに食べたのは、
今から思えばお粗末なものでしたが、

今はそんなシロモノ、探すのも難しいですよね。(^^♪
生クリームのおいしいのしかありませんし。

そんなことを思うと、
おいしいものをおいしくいただけることが
当たり前にできるこの時代って、
本当にありがたいのかな?

・・・なんて思うんですよ。

人の心の基準なんて(笑)

私自身は、
自分の育った環境を基準にしてしまいがちですが、

私の親世代はどうだったでしょうか?

母からよく聞かされたのは
大戦中に疎開していた話です。

母の人生にとって幼少期の「疎開」という経験は
大きなインパクトのある出来事だったのでしょう。

戦後の食べ物がない時期をどうやって過ごしてきたのか、
また、
お腹のすいた時のこともよく聞かされたものです。

ひもじい思いをした経験はない私ですから、
それは私にとっては異次元の話です。

そういうこともあったのだな
という感想くらいしか持てませんでした。


それと同じように、

私が白い恋人を見て
若かりし日のあの感激を
どんな言葉で修飾しても、
きっと子供達には伝わらないことでしょう。

袋を開けて
出てきたお菓子の甘い匂い。

それを私に下さった人は、
3日後にはきっとそんなことなんて
忘れてしまっていることでしょうけど。

でも私はあの時に白い恋人を手にし、
袋から出し、
そっとかじってみて
ホロっと崩れる軽い口当たりと、
中から出てくるあのホワイトチョコの味が
口の中で混じりあうのを感じながら、

・・・涙を流しました。

ああ、こんなにおいしいものがあるのかと。



おいしいものに囲まれ続けていると
それが当たり前になっちゃうから、

おいしいものをあまり知らなかったあの頃は、
逆に幸せだったかもしれません。


でもね、
だからと言って今、
目の前においしいものがたくさんあるのに、

それを食べない選択も、
・・・できないですよね。(笑)


おいしいお菓子が食べたいな~。
アイスが食べたいな~。

って、思っちゃう。

そんな自分を残念に思う気持ちもありますけれど、
まあそれはそれで、私だから。(笑)

そんな私も否定しないで、
かわいいやつだなと
客観的に見れる自分でいたら、
心が軽くなりますよね。

今、幸せに包まれているからこそ言えること

ただ、
今こうしている間にも、
ウクライナでは大変な生活を強いられている方もいらっしゃる。

ロシアの人だって、そうですよね。

戦争で傷つくのは片方だけではなく、
どちらの国の人も傷つきます。

それを見て、
遠方で心を痛めている人も多くいる。

能天気に、
白い恋人だ、ケーキだと、
議論している場合どころではないでしょう。

生きていくのに精いっぱい。

そんな人はこの世界にたくさんいらっしゃる。

それを意識しながら、
今目の前にある幸せに気づいて、

それをありがたく感じながら生きていく自分でありたいな。

・・・なんてことを思うんです。


久しぶりに
白い恋人を見て、

長々と語ってみました。(笑)