昨日の新聞で、こんな記事を読んだ。
「日本在住で紛争地出身の人に、花火大会見物を誘ったら断られた。爆撃を思い出すからという理由で。」
というような内容だった。

平和ボケしている私たち今の日本人には、そういう実感は全くない。読んで軽く衝撃を受けた。

たまたま私がこれまで見てこなかっただけなのかもしれないが、昨日は原爆特集のTV番組がやたら目についた。原爆ドーム前の川には今でも爆風で飛ばされた、瓦や石がたくさん沈んでいるらしい。ドームの壁の一部を引き上げる作業を映していた。

オバマさんが去年現役大統領として初めてヒロシマを訪れたからなのか、
あるいは、核兵器禁止条約が採択されたからなのか、
理由はわからないが、原爆に対する報道が、今年は多いような気がした。

私の身内にも被ばくした人がいて、その様子を母から聞かされて育った。
家の中で正座合掌して息絶えていたというおばあさんの話。
岩国まで歩いて逃げて来て、全身ケロイドで苦しみながら亡くなったおじいさんの話。逃げる最中にはモノの下敷きになった人を何人も助けてあげたという。

そんな話を聞いていても、悲惨な実感がわいていなかった私だったが、昨日はこの一文がつきささった。

「人間も動物も鳥も、生きて動くものを見ませんでした。」

いろんな人の話を聞いたり読んだりしてきたけれど、私の心は人にしか向いていなかった。
苦しかっただろうな。痛かっただろうな。それは、人に向けての気持ちでしかなかった。

生きて動くものを見なかったという一文を読んだ時、外でジャイジャイ鳴き続けている蝉の声が、一瞬止まった気がした。

そうか。このにぎやかな蝉の声が一瞬で止まったのか。死んでいったのは、人だけじゃなかった。
犬も、猫も、鳥も、虫も、みんなあの一瞬でいなくなっちゃったんだ。
この蝉の声もしなくなり、ただ聞こえていたのは生き残った者のうめき声だけだったのか。

この地に住みながら、しかも身内に被爆者がいながら、あまり深く考えてこなかった自分に、初めて気づいて愕然とした。

世界で唯一の被爆国である日本。なのになぜかその日本がその原理を応用した発電方法に頼って生きようとしている。
福島で事故があってから10年もたっていないのに。

この恐ろしいモノを作り出してしまった人間はいったいどこへ向かっていこうとしているのだろう?
今年の原爆の日は、いつもと違って何か深く考えさせられた日だった。