みんな素晴らしい

2016.08.01

私には、障がい者の友達がいる。
初めて会話したのは16年前。

「赤ちゃん、カワイイね?」

と、私がおんぶしていた末っ子を指さして、彼女が話しかけてきた。
当時住んでいた家の前で、よく見かける人だった。
毎日のように徒歩で出かける彼女の、通り道だったから。
その日は、少し話しただけだったけど、それから彼女は私と話をするようになった。
毎日のように通りかかる度にウチの玄関のドアフォンを鳴らして。
だから、彼女の家のことも、生い立ちも、かなり知っている。
彼女の障害は、軽度の知的障害と、からだ片側のまひ。
大きくびっこを引きながら歩き、少しろれつの回りにくいしゃべり方をする。
会話は普通にできるが、難しい言葉や、漢字はわからない。
学校では普通の小中学校の「なかよし学級」に通っていたそうだ。

問題行動を起こすこともあったらしい。
しょっちゅう私の家に来ているのを見て、近所の世話焼きさんから注意をうながされたこともある。
だけど、私にとっては、とても楽しい友達だった。
いつも5分ばかり話して、帰って行く。
出かける前の場合もあるし、帰りがけに寄ってくれる場合もあった。

そのうちに、我が家は転居した。
同じ町内だけど、私の家は彼女の通り道ではなくなった。
バス停からの行き帰りに寄ってくれていた時とは違い、歩けばちょっとばかり遠回り。
足を引きずりながら歩く彼女には、ずい分遠くなったと思う。
だけど、彼女はちょくちょく遊びに来てくれた。
いつも、玄関先で数分間しゃべり、しゃべりながら見事に折り紙で何かを作ってくれる。
ポーチの中には小さな折り紙がいつも入っていた。
折り紙がない時にはレシートなどの紙で折ってくれた。
とても器用に、マヒで折れ曲がった手を使い、折る。
色んな折り紙を知っている。

折り紙の本を一度見たら、忘れないそうだ。
知的障害者によくある、なんとかいうあれ、一部の特定のことにだけは素晴らしい力を発揮できるという能力。
言葉は忘れちゃったけど、何とかいうアレですよ、あれ。
サヴァン症候群?
きっと彼女も、それなんだろうなと、思っていた。

今はもう来なくなった。
彼女にもいろいろあって、歩行もあの頃より、難しくなった。
障がい者のデイサービスのお世話になるようになったそうだ。

先日、その彼女にスーパーで何年ぶりかに出会った。
嬉しいことに、覚えてくれていた。
もう、忘れられたかと思っていたから、嬉しかった。

身体が私達とは少し違っても、知的障害があって普通の考え方ができなくても、それでも私は彼女が好きだ。
障がい者とひとくくりに言ってしまうことに抵抗もある。
もちろん、障害の程度も人によってさまざま。
だけど、どんな人だってみんな大切な命であり、大事な仲間だ。
素晴らしい友達を持てて良かったと、私は思っている。
めったに会えなくなったけど、そのうち忘れられてしまうかもしれないけれど、私にとっては、彼女は今でも友達だと思っている。

写真は、彼女が教えてくれた変わり折り鶴。
色々複雑なのを教えてくれたものだけど、私が唯一覚えている簡単なヤツ。

久しぶりに折ってみた。