2017.02.06
育児について後輩から質問をもらった。
内容は、ゲーム・携帯電話・子供部屋の3項目について。
変人を自覚している(?)私の育児体験なんて、役に立つやら立たないやら?・・・だけど、
「ほう、そういう考え方もあるのか。」くらいの軽~い気持ちで面白がってもらうには良いかな?
と思ったので、しばらく連載してみようかと、思い立ちました。
今日はゲームについて。
ということで、まずはおもちゃ全般から話を持って行こうかしら??
最初に悩んだのは幼稚園の時。当時ウチにあったのは、積み木やおままごと道具など、昔から不変のおもちゃのみ。親戚からのおさがりや、義父(チチ)が買ってくれた物など。
ところが!!
幼稚園にあがって近所にお友だちができたら、かれらはTVの主人公のアイテムで遊んでいた。おジャ魔女ドレミの魔法の杖(古っ!!)とか、なんとかレンジャーの武器とか。
そういうTV番組すら見せていなかったので、どうしたものかと真剣に悩んだ。相談したのは、幼稚園の園長先生。
「積み木とままごとがあったら、他にはなんにも要りませんよ。そんなものは必要ありません。」と、断言された。
聞いた相手が相手だったから、今から考えてみればそういう返事が返って来るのは当然だ。だが、その時は大いに安心したものだ。
方針決定。(笑)
子供はあるもので勝手に遊ぶ。空き缶・ペットボトル・段ボール箱。なんでもおもちゃだった。
1回だけ、その方針を逸脱しようとした時がある。長男が1年生の時。当時ベイブレードというコマが流行った。遊びに行っても1人だけ持っていなくて、仲間に入れてもらえなかったらしい。それを知った妹がこう言った。
「私らぁのおもちゃはいらんけぇ、お兄ちゃんに買ってあげて。かわいそうじゃ。」
そう言われると確かにそうだし、買おうとしておもちゃ屋へ。
でも、当時社会現象にもなったそのコマは、どこのおもちゃ屋さんへ行っても売り切れだった。仕方なく、しばらくしてから買おうということにしていた。
だが。
たくさん持っていた友達が、要らなくなったのをくれたらしい。(苦笑)
そして、息子は「もう買わなくていい。」と、言った。
親があちこちのおもちゃ屋を走り回って探してくれた。・・・という事実だけで、満足したのかな?
ただ、「何が必要で、何が不必要か。私たちはあなたたちが良い子に育つにはどうしたら良いか?それを常に考えている。」
というメッセージは、常に与え続けた。ただやみくもにダメ!というんじゃなく、どういうわけでよそとは違う対応をしているのか。それはあなた達のことを考えているからだよ?ということ。
みんなと一緒のことをしないと、仲間外れにされてダメな子になるなんてことはない。根底には、あなたは素晴らしい。無限の可能性がある、素晴らしい子なのだというメッセージだけは、いつも与えた。
そしてゲーム機は?
結局、はやりのおもちゃは買わない方針で通した。
大きくなるにしたがって、はやりのおもちゃはTV主人公のグッズから、ゲーム機へと移行した。
すごく気兼ねしながら、顔色をうかがいながら、ゲーム機についてダメ元の様子で聞いてきたことがある。
「そう、その通り!うちではゲームは買わんよ。
ゲームってね、面白いんよ。
母さんもやってみたことあるけど、大人でも面白いけぇやり始めたら、止まらんのんよ。
あんなもん、子供がやり始めたら何にもできんくなるよ?
もし、ど―――しても欲しかったら、大人になって自分で稼いだお金で買いんさい。
しっかり自己管理ができる大人になってからなら、大丈夫。」
ゲームについては、ベイブレードの時と違って、買ってやろうかな?などとは、微塵も思わなかった。
なぜなら、うちには反面教師をやってくれたありがたい身内がいたから。
ゲーム機を買ったものの、子供が何もしなくなって困り、義姉がうちへゲームを預けたことがある。
当然、甥たちはせっかく我が家へやってきても、ゲームしかしない。
家ではやらせてもらえないものだから、おじいちゃんの家(我が家のこと)に来たときには、「今こそ」とばかりに、ドラゴンクエストに夢中だったのだ。
親せきでせっかく集まったのに団らんというものがなかった。
土日や祝日に来たときでも、お正月でさえも、ゲームばかりやっていた。
私にはそれがとても残念だったので、「よそへ預けなければいけないようなものは、そもそも買うべきでない」と、身に沁みて思ったものだ。
子供が1ケタ才(9才まで)の間は、親が憲法だ。親は毅然とした態度で子供に向かうべきだ。
と、幼稚園で教えてもらった。(笑)
みんなと一緒でなくてもいい。よそはよそ。うちはうち。(笑)
ただ、「それは、あなたたちが立派な人に育つためにそうしているのだ」というメッセージだけは、何かの折には伝え続けた。
ゲームなんてしなくても、大丈夫。
と、親が自信を持つことこそが、大事だと思う。