あまりにも私にとって
痛いところをつかれたので、
その時の言葉を鮮烈に覚えている。
あれは20年も前のこと。
長男が小学3年生の時だったと記憶している。
この家に引っ越してきて
近所に友達ができた。
いわゆるママ友というやつだ。
だから、
「この子はあのお母さんの子だな?」
という、私にとっては、
お母さんが先に知り合いとなり、
その子は後から
「あの人の子」という認識となって
記憶されたように思う。
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さて、
その時何があったのか?
それは2人の女の子の会話
会話というよりは、
片方が大声で泣き叫び、
片方が静かになだめていた。
その話の内容はというと…。
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あの時ああでこうで、
あれがこうして、こうなって、
あの人がこう言って、
でも、実際にはこうだった。
だから私はこう言っただけじゃない!
それに、あの時はああでこうで、
だからこうだったのよ!
私が何か間違ったこと言った!?
ねえ、
私、何にも悪くないよね!?
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実際には、
もっともっと長かった。
友達とのけんかのいきさつを
第三者である友達に伝えて、
味方に引き入れようとしていた。
泣き叫びながら、
同意を求めていた。
小学3年生の口から出た悟りきった言葉
私が感動して、
20年たってもいまだに忘れられないのは、
その次に起きたことだ。
じっと話を聞いていた子は、
こう答えた。
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うん。
そうだね。
何にも間違ってないね。
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そうでしょう!!
だったら!!
なんでみんな、私を悪く言うの!?
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ただね、
言い方が悪かったんよ。
正しかったら、
何を言ってもいいわけじゃないよ。
いくら正しくても、
言い方が悪いだけで、
全部悪いと思われることもあるんよ。
あの時ね、
ああ言ってこう言って、こうしたでしょう?
そうじゃなくて、
こう言えばよかったんじゃないかな?
何に心を動かされたのか
その時私は外にいたわけじゃなく、
キッチンにいた。
彼女たちの声はあまりに大きく、
あまりにも感情的だったから、
台所仕事をしていた私にまで
たまたま耳に入ってきただけだった。
もちろん、
同意を求めて泣き叫んでいた子の、
語っていたいきさつの詳細は覚えていない。
ただ、自分の潔白を訴え、
正しさを主張していた論理展開だけ覚えている。
そしてそれに答えた子の、
「うんそうだね。
なんにも間違ってないよ。」
いったん泣き叫んでいる子の主張を受け入れ、
そしてその後で、
やんわりと諭した言葉にしびれた。
でも、言い方が悪かったんだよ。
正しかったら、
何を言ってもいいわけじゃない。
正しいだけで、
すべて受け入れてもらえるわけじゃない。
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なんてこの子は素晴らしい子なんだろう!
と思った。
当時30代の私は、
泣き叫んでいたほうの子と同じ失敗を
いつもやらかしていた側だ。
いまだについ、
余計なことを言ってしまう癖はなくならない。(^^;
自分の正しさをカサに、
人を攻撃してしまう。
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でも、
当時わずか10歳にも満たないその子は、
穏やかな口調で
友達を諭していた。
あれから20年以上たち、
その子はもうお母さんになっていると聞く。
きっと、
穏やかに育児をしておられることだろう。
なぜ、今こんな話を持ち出したのか?
それは…
その小学生の答えこそ、
全ての人のしあわせの源泉だと思うから。
今、世間では
色んな情報が飛び交い、
自分の主張こそが正しいのだと、
人を説得して自分の側に引き入れようとする人が
たくさんいらっしゃる。
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でも、
実際その説が正しいかどうかは二の次で、
多くの人が嫌悪感を覚えるのは、
正しさを主張し、
世の中の大半の人たちが間違っているんだと
説得しようとする人の、
ものの言い方や、
態度に辟易しているんだと思う。
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正しければ、
何を言ってもいいわけじゃない。
しかも、
正しいと思い込んでいることも、
もしかしたら間違っている可能性だって、
ゼロじゃない。
なのに、
自分の説だけが正しくて、
世の中の多くの人が間違っている!
だからこれを伝えなきゃ!
と、頑張って頑張って、
人から嫌われる人は、
あの時最初に泣き叫んでいた子と、
何も変わらないと思う。
もっとも、
そっちのほうが
人間らしくてカワイイっちゃカワイイかもだけど。(笑)
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ただ、思うのは、
いつになっても、
相手が誰でも、
この姿勢は変えちゃいけないんだと思う。
自分が正しければ、
正しさを主張していいわけじゃない時も、
人生たくさんあるもの。
私が正しい。
そう思っていても、
もしかしたら
間違っていることだって絶対あるから。
「私が」、「私が」、
という正しさをかさに着た
我の心を
ねじ伏せてこそ、
うまく回ることもある。
それをわずか小学3年生で身に着けていたあの子は、
本当に素晴らしい。
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あなたは、
その子のようになれますか?

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