2016.02.09

岩国小学校では、一日入学が終わったらしい。

もうすぐ1年生。ワクワク、ドキドキ。

さて、そんな時期に気になるのが、幼稚園入園や、小学校入学で、今や必需品と昇格した?・・・ネームシール。

我が子が入学する頃には、「へー、そんなのがあるんだ。」なレベルだったが、今はあれを貼っていないと、子供たちはちょっとがっかりするのかな?

習字教室に来る子供たちも、ありとあらゆる物に自分の名前シールを貼ってもらっている子が多い。

確かに、キレイでかわいい。

たくさん名前を書かなきゃいけないものには、便利。

だけど、思うのだ。

親に書いてもらった自分の名前で、子供は親の筆跡を覚えるんじゃない?

幼稚園(保育園)の持ち物に書いてある自分の名前。小学校のランドセルや、体操服の袋、給食ナフキン、いろんな物に書いてもらった自分の名前。

それを書いてくれたのは、私の場合、ほとんどが母だった。

母の字は一目でわかる。それは、小さい頃から。私の持ち物の私の名前の字が、母の字だったから。

だけど、今の子供たちは、果たして親の筆跡を知っているのだろうか?「これは私のお母さんの字。」と、わかるのだろうか?

上手でなくてもいい。忙しかったら走り書きでもいい。親が自らの手で書いた字で、子供の持ち物に記名する。

すると、そうやって育てられた子は、心が豊かな子に育ちそうな気がする。

縦横直角に交わり、決してゆがみのない活字。確かにキレイかもしれない。便利に違いない。でも、そこには温かさが感じられない。

と、思うのは、単に私が字を扱う仕事をしているからだけ?

字には、色んなものが込められている。

と、思いたい。だから、せめて我が子の持ち物には、手書きで記名してほしい。ちょっとくらい歪んでいても、そこには母の愛情がこもっていると、私は思う。

小学校へ上がる前から字や計算を教えたり、中には英会話教室へ通う子もいるが、そういう英才教育よりも、もっと大切なのは、親の温かみがこもった物を子供に与えること。・・・では、ないかな?