2015.08.20
水曜日は習字の日。実は先月から、大人の教室も始めた。
長年、小学生を相手に教えてきたが、その宣伝をしていると、必ず聞かれるのが
「大人はダメなの?」
・・・ダメなはずはないな。
確かに大人の人なら、書道教師じゃなくても、私より上手な人はたくさんいる。でも、そもそもそんな人には教えなきゃいいだけのことじゃないかと。
そこで振り返ってみて、私自身が一体何をめざして習字を始めたのか、考えてみた。
別に、展覧会で上位入賞したくて始めたわけじゃない。
ただ単に、「祝儀袋の表書きや、年賀状をきれいに書きたい。」というのが動機だった。
「かっこよく、日常生活で小筆を使いこなしたい。」それが、そもそもの始まり。
ところが、である。
岩国ではどこの書道教室でも、そんなものは教えてくれやしない。
立派な先生方は、ちょっと上手になると、展覧会への出展を勧めてくれる。
確かに、それで上手になれるのだ。書道誌へ出品し、段級位を取得する。地元の美術展に出品する。選ばれれば嬉しくて励みになる。そのうち色んな公募展へも出せるようになる。
美しく出来上がった作品を飾ったら、豊かな気持ちで生活できる。
・・・そうやって、上達する人も、確かにいる。
だが、いくら頑張って書いた作品でも、自分の作品を自宅に飾ると、欠点が目に付いてしまって、嬉しくないのだ。
それはもちろん、私の作品が未熟だからで、もっともっと良いものを書けばいいのだろう。
・・・だけど、芸術書道には、お金がかかり過ぎる!!
紙も、道具も、やればやるほど、良いものが欲しくなる。表装すれば、またお金がかかる。その上、展覧会で受賞した作品でも、自分の作品は未熟にしか見えない。
全くもって、負のスパイラルだ。
芸術の道に進んで腕を上げ、美しい作品を書けるようになることに喜びを見出す人は、たくさんいらっしゃる。でも、ふと原点を考えた時、「私が目指していたのはそこじゃなかった。」そう思い出してしまったら、芸術の道は私が本来望んでいた場所ではなかった。・・・そう、気づいてしまった。
だから、芸術書道はもうやめた。
そんな私には大人は教えられないと、長い間思っていた。
だが、考えてみたら、私と同じように、日常生活の中での習字を求めている人も、やっぱりいる。
それが証拠に、小学生習字教室の話をすると、「大人はダメなの?」・・・である。
自分が売りたいものを売るのではなく、人が求めているものを売れ。
それが、事業の基本なんだそうだ。
かつての私のように、「日常生活のちょっとした場面で、美しい字を書けるようになりたい。」
そう思う人が結構いることに気づいた。
だから、そんな人に集まってもらおう。
それが、大人の習字教室を始めたきっかけ。
だから、私の教室には、展覧会を目指す人は、向いていない。
できるだけ安価な道具で、美しい毛筆文字を習得すること。このコンセプトで始めた習字教室。
「習字教室」と名乗りながら、墨も硯も使わない。
それどころか、筆さえも使わない。
使うのは、鉛筆とボールペン、そして限りなく小筆の書き味に近い筆ペン。
そして紙は、学習ノート。和紙に字を書くシーンなんて、日常ではほとんどなくなっちゃったんだもの。
あくまでも実用にこだわった大人の習字教室。
そんな教室、始めました。