2016.08.02
昨日紹介したお友だち。
彼女がウチに来てくれていた頃、私は大忙しの毎日だった。
介護と育児が同時進行。
心も体もフル活動して、へとへとな毎日。
今から思えば、若かったからこそできたんだよね?・・・って感じの時だった。
その余裕のない毎日に、彼女は非日常な5分間を届けにやって来てくれる。
来る道すがら摘んできた野の花を持って。
何か目的があるわけじゃなく、ただ私と話がしたかっただけなんだろうと思う。
家族のこと、同居している人のこと。
あれやこれやと数分間、折り紙を折りながらしゃべって帰って行く。
ほぼ毎日。
留守中に来てくれた時には、来たことの証明のように、玄関に野の花が挟んである。
そのしおれ具合で、いつごろ来てくれたのかがわかった。
そんな彼女は、私にとってどんな存在だったのか?
疲れた毎日の中で、何とも言えない心の安らぎを与えてくれた。
私とは違った物事のとらえ方。感じ方。
話をするたびに新鮮なビックリと、そして彼女を取り巻く世の中の理不尽さに腹を立ててみたり。
ドタバタな毎日の私から、ちょっとした異空間に連れ出してもらえて、シアワセな気分になった。
あの頃の私は、彼女とのやり取りの中にホッとするものを見出していたように思う。
彼女は私にとっては、大事な友だちだ。
障がい者なればこそ、私たちより繊細で、美しい心がある。
育った環境のせいで歪められた部分を感じたことはあるけれど、でもやっぱり、彼女は決してダメな存在なんかじゃない。
ひとくくりに障がい者と言ってしまっても、障害の程度は人それぞれ。
でもそれは他の健常者だって、みんな色々持っているちょっとした身体の不具合だとか、そういう差異と何が違うというのだろう?
神様からみたら、そんなのほんの個性の差くらいのことかもしれない。
そういうことを教えてくれた彼女に、私は心から感謝している。
彼女は私にとって大切な存在であると同様に、その周囲の人にとっては本当に大事な存在。
だから、あなたも自信をもって、胸を張って歩いてほしい。
人間同士、みんな一緒。
あなたも私も、同じ人間。
あなたも、あなたの周りの人にとっては、かけがえのない大事な人だから。