感謝の言葉のパワー

なんだ。人のよさそうなおじさんじゃん。

トイレの修理に来てくれたメーカー派遣の修理屋さんは、意外にも穏やかな感じの男性だった。

だって、最初に電話で話した時にはすご~くイヤな感じをモロだしだったんですもの。

「このトイレはタンクがなくて、スタイリッシュだっていうので当時は良かったんですけど、修理が大変なんですよ。
今はまだ部品があるけど、せっかく今修理しても、次にどこか不具合が出て修理しようとしたときには部品がもうなくなっている可能性もあります。ですから、この修理依頼はいったん破棄して、トイレを丸ごとやり直しましょう。」
などと言う。

「丸ごとって、便器もですか?」

「ええ、このトイレは次に直す時にはもう、便器から交換して、普通の便器にされた方がいいです。それだったら、壊れた時にはシャワートイレの便座だけ買い替えればいいですから。特殊な便器なので洗浄機だけ直すことはできないんです。
この間も、そういうお客さんがおられて、もう丸ごとやり替えたほうがいい!!って言われました。」

・・・って。
つまり、カンタンにいえば、修理するのは嫌だ。家を建てた建築会社に頼んで、新しいトイレに作り直してもらってくれ。

と、おっしゃっているわけ。
しかも、いかにも関わりたくないと言わんばかりの取り付く島もない口調なのだ。

・・・でも。
まだ交換部品があるんなら、直してくれたっていいじゃん・・・。

主人と相談して、やっぱり修理してもらうことにした。丸ごとやり直すなんて、大ごとだし。

依頼するときに、こんな話をしてみた。
「もう亡くなったけど、この家を建てた時におじいちゃんのためにつけてもらった最新式のトイレだったんです。デザインが気に入って決めたんじゃありません。機能が良かったんです。おじいちゃんは、なんでも自動でやってくれるトイレがすごく気に入って、喜んで使っていたんです。とってもありがたかったんです。だから、使える間は修理して使いたいので、お願いします。」

義父は、体がだんだん動かなくなってきて、便座を上げ下ろしすることすら困難だった時期。
「なんでも便所が勝手にやってくれる。近づいたら勝手にふたがあいて、用が済んだら水も勝手に流れてくれる。尻まで洗うて、乾かしてもらえる。こりゃあええもんじゃ。」と、喜んでいた。
訪問看護の看護師さんたちも、最新式のトイレにびっくりしていた。16年前。まだ、自動のトイレが珍しかった頃だから。
ここへ引っ越してきて、バリアフリーの家で喜んで生活していた義父。寝た切りになる前の半年間は、本当に喜んで使っていた。

設計段階の時から、主人はこの全自動トイレの存在を知ったとたんに、値段も聞かずに即決だった。義父の部屋のトイレだけは、この高級トイレに。

・・・そのトイレなんですもの。
まだ修理できるのに、壊して新しいのにしてしまえという考えには、・・・ついて行けなかった。

結局、頼み込んで修理に来てもらった修理屋さんは、電話の時とは打って変わってやわらかい態度だった。にこにこして、親切に対応してくれた。

このトイレに感謝しているんだと伝えた言葉が、この人の態度をかえたのかな?

想像だけど、最初の電話対応の時は、なにか大きなクレームをつけられて落ち込んでいた時だったのだろうか?
私が重ねて修理をお願いし、このトイレに感謝していると伝えた言葉が、モノを言ったんじゃないかな?

同じことでも、モンク言われるのと、喜んでもらえるのとでは大違いだから。

お帰りには、いつものように、生長の家の雑誌『いのちの環』をお持ち帰りいただいた。にこやかに持ち帰ってくださった。どうぞ読んでくださいますように。(笑)